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命のパルス


その小さなパルスは
0に成りかけては14、20、と点滅を繰り返していました。

人の体の中は微弱な電気を持っていますので
このような反応が出るのです。
心臓は既に停止しているのですが、
・・・どうしますか?

その間10秒ほどだったかと思うのですが
私はその問いの答えに迷いました。
迷っているあいだにも小さな点滅はゼロになりませんでした。

・・・もういいです。
止めて下さい。

わたしのその一声で
周囲は慌ただしく動きはじめ、小さく点滅を繰り返していた機械は取り外され、
しばらくその様子を見守っていた私と私のこどもに向かって

「11月25日午前6時13分 ご臨終です。」と
医師は父の死を告げたのでした。


P8159392.jpg



3年前の春に
父はリビングのカーテンを引こうとしてバランスを崩し、
仰向けに転倒した時に腰を激しく打ったのが原因で
入退院を繰り返す事となったのでした。
最初の入院は2週間ほどだったにも関わらず
その時にすでに認知症が進行してしまっていました。
もう本当にその進行の早さは信じがたいようなあっと言う間のスピードで
家に連れ帰っても全く目が離せなくなり、
私や孫を物凄く困らせました。

父の意味不明の行動はヒートアップし続けて
夜昼お構いなく父はわたしを呼ぶようになって行きました。
もう今思い出しても不思議でしょうがないのですが
あの頃の父はまったく眠る、という事がありませんでした。
夜はまるで壊れたロボットのように目が爛々とギラギラとしていて
昼間はうつろな表情のまま椅子に座って、でもうたた寝さえもする事も無く、
いったいヒトは眠らずに生きて行ける物なのかと
父に眠らせてもらえない自分は発狂寸前にそう思っていました。

そんな時、こどもが一冊の本を買って来ました。
百田直樹氏の「海賊と呼ばれた男」の上巻でした。
こどもは自分が読もうと思って買ったものだったのですが、
私はふと父にその本を見せたのでした。
「読んで見る?」
そう言って手渡したその本を、父はしばらくしげしげと眺めていたかと思ったら
静かに椅子に腰かけて驚くべく集中力で読み始めたのです。

次の日、その本はテーブルに置いてありました。
相変わらず眠らず爛々とした眼で夜中私を振り回していた父に
何の期待せずに本を指さし、
「おもしろかった?」と尋ねてみたのです。

すると、父は
「血沸き、肉躍るような話であった!」

・・・私はそんな感想が返って来るなどと夢にも思っていませんでしたので
父のその返答は私にあえかな期待を持たせました。
もしかしたら父は僅かづつでも元の父に戻れるのではないのか、と。
しかし父の認知症の進行は全く止まる事など無く
いよいよ手に負えなくなった父は介護棟のある病院へ入所する事になってしまいました。
その時、海賊と呼ばれた男の下巻を持って父に会いにいったのですが
父は本など全く興味を失ってぼんやり天井を見ているばかりとなっていました。

P7048864.jpg


先日初七日を終えた家の中は
不思議なくらい静かな様子になっています。
ずっと家にいなかったはずの父の存在感がこんなにも大きかったかと
驚くばかりなのです。

浄土の川の向こう側には、きっと先に旅立った母と、父の事が大好きだった愛犬ベルが
父を迎えに来てくれていただろうと思うのです。
あちこち管でつながれて苦しかったこの世の事などすっかり忘れて
暖かく安心な世界で笑っていてくれたらと願うばかりです。
棺の中にあの本もちゃんと入れたので続きも楽しみに読んでくれているかなと思います。

でもね、お父さん
私はもう一度あなたのあの言葉が聞きたかった。

「血沸き、肉躍るような話であった!」と。






******************************************************


皆さんへ

復活バナシがお人形ネタでなくて申し訳ありません。
父の今までを記事にまとめさせいただきました。
次回はカワユイお人形さんを連れて参りますね。
今回のこの記事にお付き合い下さって有難うございましたm(_ _)m

miyuki






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コメント - 5

くりうめ  2015, 12. 07 (Mon) 09:49

お疲れさまでした

ブログ主さま。
お疲れさまでした。
しかし、親の死を悼める、もう一度声が聞きたいと思える方を、私は羨みます。私は、たぶん喜び解放されたと安らぐばかりでしょうから。
18年めです。予算削減したいからと家族に丸投げの姿勢が許せん。政府。

編集 | 返信 |  

miyuki  2015, 12. 07 (Mon) 23:12

コメント寄せて下さった皆さん
有難うございました。


父の死から何だか物凄いスピードで時間が遠ざかって行くような、
とても奇妙な感覚に陥っています。
時折、あ、病院の父に会いに行かなきゃ、
とか思ったりして現実とのズレも感じています。


今父のいなくなった空間もやがて埋められて
何も無かったように日常が戻ってくるのでしょう、
それはとても淋しい事ですが、そうやって人は生きて行くものなんだろうと
思います。

同じように家族の介護に携わりお互いに苦しんだコメントを幾つも頂きました。
愛情と犠牲の上に成り立っている介護の重い現実を
もう少し世の中が受け止めるようにならないと
暗澹たる深みにはまり抜け出せない方が増えるばかりだと
実感します・・・。




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くりうめ  2015, 12. 08 (Tue) 19:09

再コメント失礼致します

長い年月、在宅介護をしております。
介護離職、介護うつ、たぶんストレスからの病気で入院手術も致しました。それでも私が介護を続けるのは、きょうだいがいない為なのです。良くも悪くも、一人っ子だから続けられます。あとは鼻が悪いからです。慢性鼻炎。それと女だからかな。
しかし、ストレス溜まると人形が増えます。ヤケ酒ならぬヤケ人形。
夫婦別姓が家庭を壊すと主張する人に言いたい。介護は家庭でオバサン(嫁とか娘とか)がタダでやればいい、その考えこそ家族と家庭を壊しますよ。
そして、くりうめの人形は今日も増えるのであった。

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雪うさぎ  2015, 12. 09 (Wed) 14:36

お父様、お寂しいですね。。
今はきっと、お母様とベルとお散歩をされてるんじゃないかと思います。

昨日、近所のご婦人が亡くなりました。
私の娘を孫のように可愛がってくださりました。9月に生まれた息子を見せたかった。そんな風に思いました。

1年と少し前に、母が脳梗塞で倒れました。普通の人は1本血管が詰まるところ、
母は3本詰まっていました。
倒れた時、父が側に居たのか、何時に倒れたのか分かりませんでした。
父はごく初期の認知症を発症していました。母は何時に倒れたのか分からず、強い薬は使えませんでした。
病院で見た母は、信じられない位弱り、今にも事切れそうでした。
しかし、母は驚異的な力で杖で歩けるようになりました。
しかし、もう倒れる前の辛抱強い控えめな母はいません。後遺症なのか、人が変わってしまいました。

先のご婦人と同じ病で倒れた母ですが、
最悪な状況から甦ったという事は、母にはまだ使命が残ってるんだと思いました。

先のご婦人も、お父様もきっと、
使命を果たし切られたんだと思います。

人が変わってしまった母ですが、
生きていてくれて、それだけで良かったと思える娘になりたいです。

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miyuki  2015, 12. 10 (Thu) 21:35

くりうめさん
雪うさぎさん
鍵コメント下さった皆さん

この記事をご覧下さり、百あれば百通りある家族への思いを寄せてくれて
本当に有難うございました。

普段多分誰にも言う事の無いであろう心の奥底に沈んでいる苦悩や苦痛を
多く聞く思いがけない機会になりました。
親や家族言うものは何と愛おしく、また何と厄介な存在であることかと
しみじみ考えさせられる皆さんのコメントの数々でした。

自分もいったい父や母に何が出来たのだろうと
遠くに旅立ってしまった親に対して思います。
あの時、もっと優しくできたのに、
そんな後悔は日々押し寄せて来るばかりですが、
残された自分たちのこれからを、
見えない何処かで見守っていてくれている両親に
頑張るからね、と手を合わせて報告する毎日を過ごしています。

忙しい年の瀬を迎えつつありますが
皆さんどうか風邪など引きませんようにお過ごし下さい。
自分の風邪のピークは過ぎました、
ご心配下さった皆さん本当に有難うございましたm(_ _)m


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